2018年9月23日(日)第4回情報交換会「医学的データは最優先されるべきなのか」を開催しました。
まずは、当会運営メンバーの大関と清水から情報提供です。
1)病院看護師の立場から 大関 篤子
概要) 施設から搬送された終末期の方がモニター類に囲まれ、命を終える状況に対する違和感、家族とともに迎える終わりの時への医療職の配慮と対応に検討の余地があるのではないか
2)訪問看護師の立場から 清水 さかえ
概要)血圧の値のみで入浴を禁止された在宅の方が、多種職チームの介入により、本人家族の望む入浴が可能となった働きかけ
2グループに分かれて、ディスカッション開始です。
Aグループ発表
・その人らしい生活よりも、血圧の数値で入浴制限、血糖値が高くて食事制限、ゼリーが嫌いだと話していても嚥下機能低下でゼリー食の指示があったり、レントゲン検査の結果それまで行っていたベッドサイドのリハビリが中止になったり等のエピソードの紹介があった。
・特養や施設から病院にいった人は、生活が中断されその人らしい生活ができない状況がある。
・「バイタルサインの意味を看護師がわかっていない。」本来の生きている兆候を調べることであって、数値だけではないその人の全体的な状況をみることが大切であるという意見があった。
・看取り介護4年目。自然に今はしているが、初めは反対が強くワーカーさんは怖い怖いといっていた。
・看取りの時、息をしている おだやかで 肩が動いているなど その方の状況をみて、バイタルサイン測定を積極的に測定することはしていない。亡くなるときは血圧が下がってもしょうがない。という考えのもとそうしている。ただ、体に触れ熱がでて高いなというとき体温をはかるぐらい。
・以前はばたばたしていたが、静かにその時を迎えられるようになった。
・データで得られるものがその人ではなく、表情などが穏やかなのをみてその人にとって良い状況だと判断するようになった。
・看取り介護を初めてから この人は自然になくなっても大丈夫なんだと思えるようになって、落ち着いて対応できるようになった。
Bグループ発表
・看護師のベースは同じだが、いろいろな立場の人がいた。
・ご家族ががんの末期で痛みを訴えるが、痛み止めのことで医療職(看護師 医師)が喧嘩をした話 90歳を超えた人の貧血の検査のためになぜ胃カメラをすべきだったのか、拘束をする誘因はわかるが拘束を解除する誘因について考えないのだろうか、特養でいつもなら薬を飲まない人だがどんな基準で飲ませたらいいのか?ソーシャルワーカーさんで矛盾を感じることがあることのエピソードなど さまざまな話が出た。
・家族もまだまだ勉強が必要 家族への説明できる医療でもありたい。判断の真ん中に本人がいて、その意向をとらえていくのが大切だよねという意見がでた。
最後は記念撮影。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!
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